先日 滞在していた川西能勢口や雲雀丘花屋敷のあたりは まだ古い建物が残っていて、坂が急すぎて息切れ必須ではありますが歩くのには楽しい界隈でした。

現役でしょうか。素敵な木造建築。この古い建物が大切に引き継がれている様子が嬉しく、思わず写真を撮らせていただきました。この辺りは特に面白い家が多く、家主の趣向を映し出したかのような家が点在しています。世代が変わり、引き継いだ家主さんが、アーティストやものづくりをされる方々に貸すことも多いのだと伺いました。

友人はここで、作り手の数名で立ち上げたローカルマーケットを年に2回 開催していて、その度に、この地域の方々を知る機会になるのだそうです。あの方はサラリーマンで、自宅では野菜を栽培していてとっても面白い方なのよ。と朝顔を合わせてあいさつした際に話してくれました。
(近隣の人とは顔を合わせないように時間をずらしてー)なんて、私は時々ありましたが、そんな都会の暮らしとはほど遠い暮らし方をしているのだなぁと思いました。

家主さん次第では、そんな風に地域活性につながる人材を呼び寄せ、さらにその土地に住む人々の地域の愛着に変わるしくみが作れるということを目の当たりにした一方で、あちらこちらでは古い家を壊し、新しい建物、新しい素材の家に変わることも多く目にします。

家は、住む人を映し出すなぁと思うことが良くあります。古い家を修繕しながらも大事に住んでいる人は、なんだかものも大切に暮らしているような気がしてなりません。
この界隈は、そんな風に持ち手が愛着を持って次の人に受け継ぐという流れが多いのかもしれません。

古い家は、常に修繕をしながら、不便も、苦労もたくさんあるかもしれません、新素材の家よりもはるかに維持費もかかることでしょう。しかし、新しくは作ることのできない技術も、趣や美しさもあると思います。それこそ物と同じように、作り手がいて、その技術を誇りに感じながら、丁寧につくられていた家は大事な日本の財産だとも感じるのです。

 

そういえば私が六甲岡本界隈で暮らしていた時、通勤中やジョギング中に見かけた趣のある家々が、次から次へと、今度はそちら、次はあちら、というように、解体されていくのをみて、胸が苦しくなっていたのを思い出しました。そのあまりの胸の痛みに、へんな話ですが、私は建物のもつ記憶や思いなどに、もしかしたら人より敏感なのかもしれないなと思ったことさえあります。

今は、島に渡り、目にする建物の数も少ないので まるでその苦しさから解放されたように感じているかもしれませんが、やはり、古いものから感じる美しさというのと、それがいつ壊されるかという苦しさはいつまでたってもなくなるものではありません。
ああ、この場所はまだあるんだな。嬉しいな。ああ、ここはやっぱりなくなっちゃったんだ。。。関西に帰り、久しぶりにその胸がざわつく感じを思い出しました。
老朽化、税金問題、表から見えないこともたくさんあるかもしれませんが、趣のある建物は、やはりもうすこし大事にされるような風潮になってくれたらいいのになあと勝手に願う私です。